木鶏剣道総合研究所と命名した『木鷄』は、『荘子』達生篇第七からいただきました。
その意訳は以下の通りです。
紀 省子が王の命令で軍鶏を訓練することになった。
十日して、王が尋ねた。「もう、戦えるか。」
「まだまだです。むやみに強がって威勢を張っているだけですから。」
また、十日して、王が尋ねた。
「まだまだです。ほかの軍鶏の声や姿に対してさえいきり立ち身構えますから。」
さらに、十日して、王が尋ねた。
「まだです。相手をにらみつけ、闘志を見せますから。」
そして十日後、王が尋ねた。
「やっとものになってきました。他の軍鶏が声を上げても、いっこうに動じません。
まるで木彫りの軍鶏のようで、徳が身に付いた状態です。
もはや他の軍鶏でかなうものはなく、後ろをむいて逃げ出すでしょう。」
上記から、
木鶏とは、泰然自若とした境地、無心の境地こそ本物の強さだという意味を持つ言葉として広まることとなりました。
これをもとに、宋代の禅僧である風穴延沼が放った言葉が「木鶏子夜に鳴く」です。
誰もが寝静まった子の刻(真夜中)に、人知れず努力を重ねる。誰からも褒められなくても、自分の役割をまっとうできる。そのような成熟した精神を剣道修行の過程で得たいものです。
それが「文武合一の心をつくる守破離の稽古」と考え、実践しております。