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1.剣道の本質は「文武合一の心を創る」ことにある

一木 庸玄

私は、文道とは学問であると思って30歳から学び始めました。
そこで、思想家の安岡正篤先生の書籍から、以下に紹介する『陽明学始祖・中江藤樹先生』の言葉を知りました。

順境にいても安んじ、
逆境にいても安んじ、
常に坦蕩々(たんとうとう)として苦しめるところなし。
これを真楽(しんらく)というなり。
萬(よろず)の苦を離れて、真楽を得るを学問のめあてとす。

意訳:
人生が順調なときは、人はついつい、いい気になってしまいがちです。
いくら順境であっても傲慢にならず、謙虚な心を忘れず、心を落ち着かせ、
どんなに逆境の時でも、へこたれずにゆったりとした幸せな心を持って、
一時の状況変化などには振り回されない。
そういう心を持つことこそ、真の楽しみといえるものです。
そんな心を持てるようになるために、学ぶのです。

この言葉に惹きつけられ、中江藤樹先生の書かれた「翁問答」に出会うこととなり、そこで私は『文武合一』の本質を知ることが出来たのです。
日本で最初に「文武合一」を唱えたのが中井藤樹先生です。

中江藤樹先生は『翁問答』上巻之末 廾七クリックで原文が開きます。で『文武合一』について次のように述べています。
以下は私が意訳したものです。

中江藤樹 画像

中江藤樹先生 出典:藤樹書院 下記にて詳細

『文武とは、元来一つの徳であって別々のものではないのである。
天地の万物を生成する働きは一つの気でなされている。
その気には陰と陽の区別があるように、人生で実践感通する一つの徳で、文武の区別が存在するのである。
「武無きに等しい文」は真実の文にあらず、「文無きに等しい武」は真実の武では無いのである。
陰は陽の根となり、陽は陰の根となるように、「文のより所となるおおもとは武」であり、「武のより所となるおおもとは文」となるのである。
天を経(縦糸)とし、地を緯(横糸)として織物を仕上げるように、天下国家を良く統治して五倫の道を正しく行うことを文という。
この文道を妨害するとき、つまり、人の道にそむいた、非常に悪い行いに対して刑罰に処し懲らしめる。また、軍を発し悪い者・服従しない者を攻めて治安を維持することで、天下を統一し政治を行うことを武という。そういうことから「矛(ほこ)を止(やめる)」の二字を合わせて武の字を創ったのだ。
文道を行うための武道なので、武道の根本は文道なのだ。武道の威徳を用いて治める文道なのだから、文道の根本は武道である。
この世のすべてのことに文武の二つは切り離すことができないものである。
孝悌忠信を正しく行うことは文である。
孝悌忠信の障りとなるものを退治して正しくつとめ行うのが武である。』

・・・・・・・・・・・・  中略  ・・・・・・・・・・・・・・

『文は仁道の別名で、武は義道の別名である。仁と義は人生で実践感通する一つの徳であるから、 文武も同じ一つの徳であり、別々の徳ではないのだ。
この仁義の徳を良く悟って文武の理非を論じ定め明らかにすべきである。
仁に背いた文は、うわべは文でも中身が備わる文ではない。
義に背いた義は、うわべは義でも中身が備わる義ではない。
本質の文武を良く噛みわけるようにしないと、心は闇のように暗くなり、この世のすべてのことに障りが増えることになる。
さらに、文武には徳と芸という本と末がある。
仁は文の徳で文芸の根本である。文学・礼・楽・書・数は芸で文徳の枝葉である。
義は武の徳で武芸の根本である。軍法・射・御(馬術)・兵法などは芸で武徳の枝葉である。
根本の徳を第一に努め学び、枝葉の芸を第二に習って本末兼ね備わる文武合一であり、真実の文武である。』

上記で藤樹先生は「文は仁道の別名」であり、「仁は文の徳で文芸の根本である」と述べています。
「仁」とは孔子が力説した儒教の最高道徳で、五常・「仁義礼智信」の中で最も重要な徳目です。
それは人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味します。
自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心が「仁」です。

そして、儒教の伝承者として孔子と双璧をなす孟子は、道徳的法則として「五倫」の実践が重要であることを主張しまた。
五輪とは
「父子親有り。君臣義有り。夫婦別有り。長幼序有り。朋友信有り。』という、五つの人間関係の基軸ことです。

この五倫の道を「孝悌忠信」の心をもって、至誠無息、至誠は最高の誠意・真心で、無息は休まないこと、至誠という最高の真心で怠けたり休んだりすることなく、生涯にわたって自分自身を磨き続ける生き方が大切であり、それが文道であるとの考えに至りました。

このような「文道」を正しくつとめていくための「武徳を併せ持った心」を創り育んでいくことが、剣道修行の真の目的であり、剣道の本質ではないかと考えています。
そのような考えから、私は『文武合一の心を創る』守破離の稽古として剣道修行をしております。

【五輪と孝悌忠信】

五輪とは、

  • 父子の親
    父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
  • 君臣の義
    君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
  • 夫婦の別
    夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
  • 長幼の序
    年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
  • 朋友の信
    友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。

孟子は、以上の五徳を守ることによって社会の平穏が保たれるのであり、これら秩序を保つ人倫をしっかり教えられない人間は禽獣に等しい存在であるとしています。

孝悌忠信とは
は敬愛心、
は「したがう」「兄や年長者の言う事をよく聞き、兄や年長者の為によく働くこと、
は偽りのない真心。誠実であり、まじめである。また、誠意をもって事にあたります。君主に誠意をもって仕えるということ、
、漢字の成り立ちにもある「人と約束する」「誠実」という考え方があり、「友情に厚く、嘘をつかないこと」を指し、「誠実である」「約束を破らない」など人と人との絆を表しています。

 

※中江藤樹先生の画像は、公益財団法人藤樹書院よりお借りしました。

一木庸玄の剣道論
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