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3.こころすべき「心の構え」

私が『「一日が一生」で一日一回の守破離の稽古』を積み重ね『文武合一の心を創る』ということこそ、剣道の本質であるということを感得したことは、今まで説明してきたところです。

そして、私の剣道論の核となる「守破離の稽古」を修行する上に置いて、始めに心すべきことを「心の構え」として紹介します。

私がいう「心の構え」とは、
『見るは明、聞くは聡、疑わしきは問い、気は早く、声は大きく、手は柔らかく』
の六つの項目です。

この「心の構え」をもって稽古をすることが上達への最短距離となる考えています。
逆に言えば、それ無くしての稽古では、中々成果も上がらず、上達もほど遠いと言えるでしょう。

それでは「心の構え」について説明していきます。

中国には古来から儒教思想と老荘思想という二つの思想がありました。

儒教思想は、孔子・孟子を始祖とする教えで人倫規範の五倫の道と五常の徳「仁・義・礼・智・信」を説き、国を背負って立つエリートの心得『修己治人』の教えです。

老荘思想は、老子・荘子の説いた教えで、乱世時代でも、平穏な時代でも、あくまでも厳しい現実をしなやかに生きる処世の知恵を説いた教えです。

この二つの思想をベースに、日本人は独自の思想として創作したのが武士道だと私は思うのです。

江戸時代は四書五経が武士道の素養でした。

日本の伝統的な運動文化である剣道は、袴の折り目や竹刀の節目に込められた精神性、猫の妙術等の武道本からも感じ取れるように、儒教思想・道教思想が息づいています。

儒教思想教本・四書五経の論語の中に、
「孔子曰く、君子に九思(きゅうし)あり。視(み)るは明を思い、聞くは聡を思い、色は温を思い、貌(ぼう)は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問いを思い、忿(いかり)りには難を思い、得るを見ては義を思う。」
とあります。

現代語訳にすると、
「君子は常に九つの事を肝に銘じていなければならない。
ものを見るときは明らかに、ものを聞くときは神経をとぎすまし、顔色は穏やかに、容貌は慎み深く、発言は誠実に、行動は慎重を旨とし、疑問を感じたら相手に尋ね、腹が立ったときは後難に思いを致し、利益を見たら道義を忘れないことだ。」
となります。

この「九思」の中から剣道修行・守破離の稽古を重ねる中で特に重要と考える三項目をいただき、『見るは明、聞くは聡、疑わしきは問い』として、『こころの構え』の前半分を形成しました。

後半分の『気は早く、声は大きく、手は柔らかく』は、北辰一刀流始祖・千葉周作が指導する上で大事にしてきた項目です。

江戸時代末期、江戸には剣術の三大道場、
・北辰一刀流  千葉周作道場   玄武館
・鏡新明智流  桃井春蔵道場   士学館
・神道無念流  齊藤弥九郎道場  練兵館
とありましたが、技の千葉、位の桃井、力の齊藤と言われていました。

千葉周作は、免許皆伝の登録制度を簡素化したり、修業に伴う難しい語句を分かりやすく伝えたことにより、撃剣の上達が早いと人気の高かった流派です。

北辰一刀流・千葉周作の言語録を二つ紹介しましょう。

「心気力の一致が大事じゃと説くが、心とは、敵をひろく一体に見ることをいう。ひとところのみを見て、他を忘れるごとき有様では敵に勝てぬものじゃ。
気とはここを突こう、かしこを打とうと思う心じゃ。
力とはわが思うように身を動かせる力のこと。
この三つが一致いたさねば、敵は打ち難いものじゃ。」

「上達には理より修業に入る者と、技より入る者とがある。
技を重んじる者は、打ち合いのみに熱中し、ひたすら相手に勝とうとする。
理を重んじる者は、試合に負けた時はなぜ負けたかを考え詰め、ついに相手の機先を制する呼吸に思い至るものである。
技のみ重きをおく者は、打ちつ打たれつの稽古を長年月かさねたうえで、ようやく進歩をみるが、理を考える者は、上達がすみやかである。」

現在の剣道修業にも充分に活かせる言葉です。如何に解りやすい指導をされていたか伺い知ることができます。

教えを受けるということは、外から入ってきます。
外から入ってくる教えを受け取るのは自分であり、自分の心のあり方次第でその教えの消化吸収に違いが出るのは当然と言えます。

『見るは明、聞くは聡、疑わしきは問い、気は早く、声は大きく、手は柔らかく』の心の構えを常に崩さずに「守破離の稽古」を積み重ねることこそ、上達への近道であると確信しています。

一木庸玄の剣道論
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木鷄剣道総合研究所|昇段審査・剣道指導者・女性剣士・リバ剣・学生に向けて剣道の極意を伝授

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