私の剣道論の核となる剣道修行の在り方「『文武合一の心を創る』守破離の稽古」を述べる前に、どの様な過程でそこに至ったのかを簡単に紹介させていただきます。
京都府警察剣道特練に所属しましたのは、昭和47年・19歳から平成5年・40歳までの21年間です。
20歳から30歳までは、剣道と警察官として必要な知識教養に努力精進した時期です。
その傍ら剣道の心・糧となる人間学の本と禅の本と歴史小説を沢山読みました。
人間学の勉強をしていて最初に出会ったのが、仏教詩人・坂村真民先生の詩『 字は一字でいい 一字にこもる力を知れ、花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ 』でした。 今でもその時の感動が蘇り、これが私の文道への探求心を高める元になった気がします。
私が20代の若い時期に大阪体育大学の作道先生が剣道部十数名と毎年出稽古に来られていました。その時、作道先生から横山祖道禅師の本を貸していただき何度も読み返しました。
詳しいことは忘れましたが、横山祖道禅師が東京都剣道連盟副会長に宛てた手紙の内容の中に『ただ、精一杯が剣道。人間は、汗を流すことを厭うようではダメだ ただ精一杯が剣道なんだ。』という文面がありました。
横山祖道は仙台の伊達家筆頭家老職の家柄に生まれ、出家し各地の寺で修行した曹洞宗のかなりの位置の僧侶だったそうです。
昭和23年に佐久の貞祥寺に逗留しているときに、小諸に出て懐古園に立ち寄り、草笛を吹いたら観光客に喜ばれ、いつかここで草笛を吹いて暮らそうと思ったとか・・・
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む
(島崎藤村 千曲川旅情の歌 より)
この詩の『佐久の草笛』に祖道禅師は共感したのでしょうか。そういうところが私のような凡人とは違うようです。
そして、その十年後の昭和33年に、小諸に移り住み、以後22年間にわたり懐古園で草笛を吹き続けました。
彼は小諸の「太陽山青空寺(たいようざんせいくうじ)」の住職だったそうです。でも、誰もその寺を見たものはいません。
横山祖道禅師の心象の寺で誰も見えません。彼の草笛を吹くところが青空寺でした。
小諸に移り住んで亡くなるまでの22年、ここで座禅を組み、旅人や子供たちに草笛を吹き、禅の教えを説きました。
生活は、喜捨や、求めに応じて楽譜を売ったりしてたてていました。その行為は物乞いとみられ、「乞食坊主」という人が多かったですね。観光地のイメージダウンというような声も多かったですね。
それにしても、寺も檀家もなく、こうした生活は大変だっただろうと思います。
ただ、その清貧な生き方から、草笛禅師とか、草笛老師と呼ばれ、呼ぶ人も出てきました。今では昭和の良寛さんという人もいるようです。
音楽を愛した人でしたね。私の属していた合唱団が演奏会を行うと、必ずご祝儀を届けてくれました。こちらが恐縮してしまいました。
この草笛禅師横山祖道の生き方に感動しましたが、名も無く地位も無く生きることは私にはできません。でも日々の稽古で『ただ精一杯が剣道』を実践することはできると決意し、寒くても暑くても、勝っても負けても、ただ一生懸命剣道に励んできたのは事実です。
若いときから、小学生や中学生・高校生、初心者でもベテランでも気を抜かず、唯今の相手の方に『ただ精一杯が剣道』で応じ、良い汗を流してきたのは事実ですし、一木庸玄の稽古は、草笛禅師横山祖道先生から学んだ『ただ精一杯が剣道』で老若男女を問わず誠心誠意、真摯な対応をすることができていると自負しているところです。
そして21年間もの長きにわたり京都府警察剣道特練の在籍できたのは、『正受老人・道鏡恵端禅師』(※白隠禅師の師)の教え、《一日暮し》 を読んで感動し、体得体現できたことが大きいと思います。
以下は、昭和12年 信濃毎日新聞出版部(正受老人)刊行からの引用です。
或る人の咄に『吾れ世の人と云ふに、一日暮しというを工夫せしより、精神すこやかにして、又養生の要を得たり』と。
如何とすれば、一日は千年万歳の初めなれば、一日よく暮すほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。
それを翌日はどうしてかうしてと又あひても無き事を苦にして、しかも翌日に呑れ、其の日怠りがちなり。
つひに朝夕に至れば又翌日を工夫すれば、全体にもちこして今日の無きものに思ふゆえ、心気を遠きにおろそかにしそろ也。
とかく、翌日のことは命の糧も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふでなし。
今日一日暮す時の務めをはげみつとむべし。
如何程の苦しみにても、一日と思へば堪え易し。楽しみも亦、一日と思えばふけることもあるまじ。愚かなる者の親に孝行せぬも長いと思ふ故也。
一日一日を思へば、退屈はあるまじ。一日一日をつとむれば百年千年もつとめやすし。
何卒一生と思ふからにたいそうである。一生とは永いと思へど、後の事やら翌日の事やら、一年二年及至百年千年の事やら知る人あるまじ。
死を限りと思えば、一生にはだまされやすし、と。
一大事と申すは今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。
総ての人に遠き事を思ひて謀ることあれども、的面の今を失ふに心づかず。
現代語意訳はこちら
正受老人の『今日一日暮す時の務めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪え易し。楽しみも亦、一日と思えばふけることもあるまじ。』の『的面の今』を生きよ。
つまり『まの当たりの今』その瞬間を生きよという禅の神髄に出会えたことにより、長い特練期間を「日々新たな気持ち」で取り組むことができたものと思っています。
さて、もうひとつ紹介しましょう。
いつ読んだか定かでありませんが、京都府警察の月刊誌「平安」に、天台宗比叡山の千日回峰行を2回達成された天台宗北嶺大行満大阿闍梨 酒井雄哉氏が警察学校開校記念日の特別講演で話された内容が記載されていました。
2度の回峰行を達成したものは1000年を越える比叡山の歴史の中でも酒井氏を含めて3人しかおられません。
以下に、警学第51回開講記念日の特別講『道は邇きに在り』演から一部抜粋して紹介します。
「動」から「静」、「静」から「動」へ
最初はこの「動」から始まり、続いてお経を上げるとか、明日の準備をするとかの「静」の世界に入っていく訳です。いわゆる「動」があって「静」がある。「静」があって「動」になるのです。結局、「動」と「静」はバラバラではなく、一体のものだというように、自分で考えるようになったのです。
しかし、「動」の最中は一生懸命やっていても、そこは生身の人間ですからいろいろなことを考えてしまいます。例えば、
「今日、米を頼んでおかないと、明日の米がなくなってしまう。」
「お堂のローソクは足りているのか。お香は残っているのか。」などと思ってしまうと、肝腎の拝むことが留守になり、特に、疲労が蓄積してきたりすると、思考がずれて言葉が出なくなってしまうようなことがあります。
こんな心身の状況で山から帰ってきて、静かな生活に入ったときは、
「何で今日はあんなところでつまずいたのか。」
「何であれを忘すれたのか」とか「あれはいったい何だったのか。」と反省しながら、明日こそ間違いのないように2日分拝もうと決意して「動」の世界に入っていくのです。
従って、「動」の時に取りこぼしたことを、「静」の時に整理して、次の日新しいパワーで出発することが回峰行をする条件ではないかと思います。
一日が一生といえるように、そして、再び考えに間違いのないことを確認して出発するのです。
「動」→「静」→「動」を繰り返していく内に、「動」を「生」とし「静」を「死」、すなわち「生」→「死」→「生」と進むわけですが、生まれるから死ぬのではなく、死ぬから生まれるという理屈です。ですから、今日一生懸命生きないと、明日には生まれ変われない。今日の今をしっかりと生きないと、明日の世界に入っていけないということで、その時初めて、「一日が一生」といえる心境になったのです。
皆さんから、「二千日回峰行をやられて大変だったでしょう」とよく言われますが、「今日一日を一生懸命、明日は生まれ変わって一生懸命」。
これを何日か、何回か繰り返しているうちに、二千日が終わってしまったということであって、一千日、二千日というと膨大な数字でありますが、今日一日をしっかりと生きていけば、必ず自分の目的とするところに到達するものだと思うのです。
私は京都府警察剣道特練に21年間在籍し、剣道特練の使命である全国警察剣道大会に19年間全試合全出場してきました。初陣が21歳、先鋒で鹿児島県警察柏木選手、最後の試合が40歳、大将で神奈川県警察宮崎選手と対戦しましたが、今でもその時の試合を思い出します。
とても幸せで有意義な特練生活の根底にあったのが「今日一日を一生懸命、明日は生まれ変わって一生懸命」の心です。
そして私が30歳の現役の頃から、四書五経の本を読みながら老子荘子の本も沢山読みました。「木鷄」はその中の荘子の本で出会った言葉です。
平成5年、41歳初春に警察剣道から一般警察としての道を歩き始めました。
平成11年46歳で八段審査を受審し、京都・東京ともに不合格でした。
この年の6月25日は、「文武合一の心を創る」剣道を目指すと志を立てた日で、私の『立志の日』です。
平成12年1月18日私と志を同じくする後輩と二人で文武合一の心を創る『文武木鷄館』を始めました。
今日一生懸命生きないと、明日には生まれ変われない。今日の今をしっかりと生きないと、明日の世界に入っていけない。その時初めて先に紹介した天台宗北嶺大行満大阿闍梨 酒井雄哉氏が言われた「一日が一生」といえる心境になったのです。
そして「一日が一生」を剣道修行において考え直してみることで、剣道一生の修行である『守破離』を、一日一回の稽古で実践することで、必ず自分の目的とするところに到達すると感得し、その年の5月京都での昇段審査で八段に合格しました。
大阿闍梨のお話でいただいた「一日が一生」、一日一回の守破離の稽古で文武合一の心を創ると決意した後に八段合格を成しえたことで、自分の中での「剣道修行の在り方」が明確に定まったといえます。
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